キム・ミンジョンさんファンページ
・私が初めてキム・ミンジョンさんを知ったのは、高校生の頃でした。
GYAOで配信されていた「守護天使」を見て知りました。
その時の印象は、「なんか面白い人だな」ぐらいでした。
次に見たのが「真珠の首飾り」です。
その時の印象は、「なんか無表情だけど、温かい人だな」でした。
次に見たのが、「ミスターQ」です。
その時の印象が、「明るく元気で、王子様みたいで、この世のものとは思えないぐらいかっこいい」でした。
次に見たのが、「秘密」です。
その時の印象は、「完全にドストライクやわ」でした。
・歌謡番組で歌っている姿を動画で見て、美しいメロディー、歌声、表情、立ち振る舞い、しぐさ、衣装の着こなし方、作詞の感性に、ちょっと舌っ足らずなかわいいしゃべり方に、ゾッコン惚れました!!!

キム・ミンジョン(김민종)さん
・1972年3月23日生まれ O型
・ソウル生まれ
・ソウル芸術大学 映画科卒業
<デビュー&全盛期時代>(16歳~29歳)
・1988年、映画デビュー

・1992年、歌手デビュー(2集から7集アルバムまで、音楽番組で1位を獲得し続ける)

・1993年、ソン・ジチャンと組んだデュオTHE BLUEを結成し、人気を得る。
・1994年、ドラマ「フィーリング」出演

・1995年、恋人と交際宣言
・1996年、ドラマ「遥か遠い国」、映画「キチョンド」の成功で、人気絶頂になるが、曲「キチョンドエ」の盗作疑惑で歌手活動停止


・1998年、歌手活動復活&ドラマ「ミスターQ」が成功し、SBS演技大賞最優秀演技賞を受賞する。
恋人が、運転免許不正取得スキャンダルを起こす。

・1999年、恋人の復帰を手助けするために「日差しに向かって」主演を断って「愛してますか?」に一緒に出演する。

・2000年、リュ・シウォンとドラマ「秘密」を企画して、出演する。

20代のキム・ミンジョンは、全盛期を謳歌する。
特に男性ファンからの人気が凄まじかった。
素晴らしく美しい顔とファッションスタイル、カリスマ漂うかっこいい歌で、トップ俳優として君臨し続けた。
<下降期時代>(30歳~32歳)
・2001年、ドラマ「守護天使」が高視聴率を記録し、SBSドラマスペシャル部門演技賞を受賞する。
映画「マイ・ボス マイ・ヒーロー」の主演オファーを断る。
オム・ジョンファ、イ・ソラともに麻薬使用のデマを流され、名誉棄損で訴える。
プロポーズまでした、6年間交際した恋人と破局する。

・2002年、周辺人物の不祥事が相次ぐ。
(元恋人のひき逃げ事件、慕っていた先輩俳優の援助交際事件、同僚俳優の暴行事件など)
詐欺に遭って財産(50億ウォン)を失う。
様々なストレスから、ヘビースモーカーになり&浴びるほど酒を飲み、顔の劣化とノドの不調が出始める。
・2003年、出演を後悔することになる映画「ロマンチック暗殺者」が期待以下の興行収入を記録する。
人気が低迷し始め、8集のアルバムが売れなくなる。
・2004年、ドラマ「島の村の先生」が期待以下の結果に終わる。

2004年から2005年にかけて、韓流ブームの波に乗って韓国ドラマ業界に新しい風が吹く。
ミニシリーズでは様々なジャンルのドラマの大豊作の年となった。
・ロマコメ+純愛ラブストーリー+復讐もの
(パリの恋人、フルハウス、キム・サムスン、快傑春香、天国の階段、ごめん、愛してる、ラストダンスは私と一緒に、バリでの出来事、火の鳥、復活、グリーンローズ)
・週末・日々ドラマでは、ありえない展開が続くマクチャンドラマが作られ始め、2008年に全盛期となる。
(イム・ソンハン作家、ムン・ヨンナム作家、キム・スノク作家)
<どん底時代>(33歳)
・2005年、お父さんが亡くなったストレスから、顔と見た目が激変する。
ドラマ撮影移動途中に、交通事故に遭う。
ドラマが失敗し、ドラマ投資家から干され始める。
芸能生命をかけた映画「シュロの森」が失敗し、映画界からも干される。
歌手引退コンサートを行う。

受難続きの年で相当つらかったでしょう。
それからというもの、ほんとに、兄貴に覇気がなくなってしまって、悲しいです。
<低迷期時代>(34歳~40歳)
・2006年、「恋するハイエナ」が、最後の主演ドラマになる。
SMエンターテイメントに移籍する。
・2007年、休養。
・2008年~2011年、数々の駄作に出演する。
・2009年、ソン・ジチャンと組んだデュオTHE BLUEを、再結成する。

顔とイメージと歌の人気で売っていた俳優から、それらすべてが失われたら、本人も自信がなくなって当然だ。
助演するにも演技力が必要だ。
30代後半のキム・ミンジョンは、自分の演技力の限界を知らしめる結果に終わる。
<SM取締役時代>(41歳~)
・2012年、「紳士の品格」で久々にドラマがヒットし、人気を得て、SBS演技大賞週末ドラマ部門特別演技賞、ベストカップル賞を受賞する。
同時に、SM取締役として、映画、ドラマ制作に携わるようになり、俳優業をセーブするようになる。
・2013年、同居していた母親が認知症の症状を見せ始め、ストレスで見た目が激変する。
一人暮らしを始める。
・2014年~2017年、バラエティー番組、ミュージカル、低調な視聴率の出番の少ないドラマに出演する。
芸人でもなく、性格上おもしろいわけでもないので、頼りないイメージだけを与え、イジられキャラになる。
・2015年、2016年、ストーカー被害に遭う。
キム・スロと共にミュージカルのプロデュースを行う。
・2017年、1000万人動員映画「神と共に」で、友情出演ながらも、12年ぶりにスクリーン復帰する。
・2018年、キム・スロ、ユン・テヨンと共に、ホームショッピング事業を本格的に開始する。
ミュージカル、演劇のプロデュース業を行う。
バラエティー番組「山に行くバラエティー:頂上会談」に出演し、顔と髪型がマシになり、いつもの制作発表会での自信のなさがなくなる。
心から笑えるようになり、笑顔や表情が柔らかくなる。

40代のキム・ミンジョンは、もはや演技への情熱も消え失せ、別の方向性を探し始めるようになる。

・後にも先にも、全盛期の兄貴みたいにかっこよくて、全身ホワイトの肩パットジャケットが似合うリアル白馬の王子様で、感受性が高くて、絶対的な独特の個性を放つ自己プロデュース力のある、才能のある男性芸能人には出会えないと確信しているので、一生ファンでいます。私はミンジョン兄貴と、兄貴の宝石みたいな作品の数々を、愛してます。
・あと、個人的な希望として、私が兄貴と同じくらい大ファンで大好きな女優さん、チャン・ナラさんとコンビを組んで共演してください!!!

(2001年11月4週目SBS人気歌謡1位発表場面より)
GYAOで配信されていた「守護天使」を見て知りました。
その時の印象は、「なんか面白い人だな」ぐらいでした。
次に見たのが「真珠の首飾り」です。
その時の印象は、「なんか無表情だけど、温かい人だな」でした。
次に見たのが、「ミスターQ」です。
その時の印象が、「明るく元気で、王子様みたいで、この世のものとは思えないぐらいかっこいい」でした。
次に見たのが、「秘密」です。
その時の印象は、「完全にドストライクやわ」でした。
・歌謡番組で歌っている姿を動画で見て、美しいメロディー、歌声、表情、立ち振る舞い、しぐさ、衣装の着こなし方、作詞の感性に、ちょっと舌っ足らずなかわいいしゃべり方に、ゾッコン惚れました!!!

キム・ミンジョン(김민종)さん
・1972年3月23日生まれ O型
・ソウル生まれ
・ソウル芸術大学 映画科卒業
<デビュー&全盛期時代>(16歳~29歳)
・1988年、映画デビュー

・1992年、歌手デビュー(2集から7集アルバムまで、音楽番組で1位を獲得し続ける)

・1993年、ソン・ジチャンと組んだデュオTHE BLUEを結成し、人気を得る。
・1994年、ドラマ「フィーリング」出演

・1995年、恋人と交際宣言
・1996年、ドラマ「遥か遠い国」、映画「キチョンド」の成功で、人気絶頂になるが、曲「キチョンドエ」の盗作疑惑で歌手活動停止


・1998年、歌手活動復活&ドラマ「ミスターQ」が成功し、SBS演技大賞最優秀演技賞を受賞する。
恋人が、運転免許不正取得スキャンダルを起こす。

・1999年、恋人の復帰を手助けするために「日差しに向かって」主演を断って「愛してますか?」に一緒に出演する。

・2000年、リュ・シウォンとドラマ「秘密」を企画して、出演する。

20代のキム・ミンジョンは、全盛期を謳歌する。
特に男性ファンからの人気が凄まじかった。
素晴らしく美しい顔とファッションスタイル、カリスマ漂うかっこいい歌で、トップ俳優として君臨し続けた。
<下降期時代>(30歳~32歳)
・2001年、ドラマ「守護天使」が高視聴率を記録し、SBSドラマスペシャル部門演技賞を受賞する。
映画「マイ・ボス マイ・ヒーロー」の主演オファーを断る。
オム・ジョンファ、イ・ソラともに麻薬使用のデマを流され、名誉棄損で訴える。
プロポーズまでした、6年間交際した恋人と破局する。

・2002年、周辺人物の不祥事が相次ぐ。
(元恋人のひき逃げ事件、慕っていた先輩俳優の援助交際事件、同僚俳優の暴行事件など)
詐欺に遭って財産(50億ウォン)を失う。
様々なストレスから、ヘビースモーカーになり&浴びるほど酒を飲み、顔の劣化とノドの不調が出始める。
・2003年、出演を後悔することになる映画「ロマンチック暗殺者」が期待以下の興行収入を記録する。
人気が低迷し始め、8集のアルバムが売れなくなる。
・2004年、ドラマ「島の村の先生」が期待以下の結果に終わる。

2004年から2005年にかけて、韓流ブームの波に乗って韓国ドラマ業界に新しい風が吹く。
ミニシリーズでは様々なジャンルのドラマの大豊作の年となった。
・ロマコメ+純愛ラブストーリー+復讐もの
(パリの恋人、フルハウス、キム・サムスン、快傑春香、天国の階段、ごめん、愛してる、ラストダンスは私と一緒に、バリでの出来事、火の鳥、復活、グリーンローズ)
・週末・日々ドラマでは、ありえない展開が続くマクチャンドラマが作られ始め、2008年に全盛期となる。
(イム・ソンハン作家、ムン・ヨンナム作家、キム・スノク作家)
<どん底時代>(33歳)
・2005年、お父さんが亡くなったストレスから、顔と見た目が激変する。
ドラマ撮影移動途中に、交通事故に遭う。
ドラマが失敗し、ドラマ投資家から干され始める。
芸能生命をかけた映画「シュロの森」が失敗し、映画界からも干される。
歌手引退コンサートを行う。

受難続きの年で相当つらかったでしょう。
それからというもの、ほんとに、兄貴に覇気がなくなってしまって、悲しいです。
<低迷期時代>(34歳~40歳)
・2006年、「恋するハイエナ」が、最後の主演ドラマになる。
SMエンターテイメントに移籍する。
・2007年、休養。
・2008年~2011年、数々の駄作に出演する。
・2009年、ソン・ジチャンと組んだデュオTHE BLUEを、再結成する。

顔とイメージと歌の人気で売っていた俳優から、それらすべてが失われたら、本人も自信がなくなって当然だ。
助演するにも演技力が必要だ。
30代後半のキム・ミンジョンは、自分の演技力の限界を知らしめる結果に終わる。
<SM取締役時代>(41歳~)
・2012年、「紳士の品格」で久々にドラマがヒットし、人気を得て、SBS演技大賞週末ドラマ部門特別演技賞、ベストカップル賞を受賞する。
同時に、SM取締役として、映画、ドラマ制作に携わるようになり、俳優業をセーブするようになる。
・2013年、同居していた母親が認知症の症状を見せ始め、ストレスで見た目が激変する。
一人暮らしを始める。
・2014年~2017年、バラエティー番組、ミュージカル、低調な視聴率の出番の少ないドラマに出演する。
芸人でもなく、性格上おもしろいわけでもないので、頼りないイメージだけを与え、イジられキャラになる。
・2015年、2016年、ストーカー被害に遭う。
キム・スロと共にミュージカルのプロデュースを行う。
・2017年、1000万人動員映画「神と共に」で、友情出演ながらも、12年ぶりにスクリーン復帰する。
・2018年、キム・スロ、ユン・テヨンと共に、ホームショッピング事業を本格的に開始する。
ミュージカル、演劇のプロデュース業を行う。
バラエティー番組「山に行くバラエティー:頂上会談」に出演し、顔と髪型がマシになり、いつもの制作発表会での自信のなさがなくなる。
心から笑えるようになり、笑顔や表情が柔らかくなる。

40代のキム・ミンジョンは、もはや演技への情熱も消え失せ、別の方向性を探し始めるようになる。

・後にも先にも、全盛期の兄貴みたいにかっこよくて、全身ホワイトの肩パットジャケットが似合うリアル白馬の王子様で、感受性が高くて、絶対的な独特の個性を放つ自己プロデュース力のある、才能のある男性芸能人には出会えないと確信しているので、一生ファンでいます。私はミンジョン兄貴と、兄貴の宝石みたいな作品の数々を、愛してます。
・あと、個人的な希望として、私が兄貴と同じくらい大ファンで大好きな女優さん、チャン・ナラさんとコンビを組んで共演してください!!!

(2001年11月4週目SBS人気歌謡1位発表場面より)

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